塩谷瞬の生い立ちが壮絶!両親離婚、不登校、父との死闘など悲惨な過去

塩谷瞬 画像 俳優
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2002年にスーパー戦隊シリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』ハリケンレッドを務め、俳優デビューした塩谷瞬さん。

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そのまま順調にいくかと思われたところで例の二股騒動がありました。

塩谷瞬さんと言えば二股騒動みたいな印象があり、あの時の涙の会見は未だに忘れられませんよね^^;

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そんな塩谷瞬さんの生い立ちが壮絶すぎると話題になっていましたので、調べてみたのですが、想像を絶するものでした。。。

塩谷瞬さんの生い立ちを知り同情してしまう人もいました。

ということで、今回は塩谷瞬さんの生い立ちについてまとめてみました。

塩谷瞬の生い立ちが壮絶

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それでは、塩谷瞬さんの生い立ちについて詳しく見ていきましょう。

私は塩谷瞬さんの生い立ちを知り、例の二股騒動の原因は幼少期から来る問題なのではと思いました。

それでは、塩谷瞬さんの生い立ちを知るために、まずは少年時代から見ていきましょう。

塩谷瞬さん自身「小学生の頃は自殺したくなったこともある」と語っていた幼少期ですが、何があったのでしょうか?

 

母親の顔も知らない幼少期、極貧生活を経験

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塩谷瞬さんが生まれてすぐ両親が離婚したようで、物心ついたときには既に母親はいなくなっており、父親と2人で暮らしていたそう。

小学校に通うようになっても、父親から「学校に行く」という価値観を教わっておらず、学校に行く必要性が分からないという理由で低学年の頃は不登校だったそう。

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食事面もひどく、100円のうどんを3日に1度食べるという超極貧生活を強いられて、体は極細で顔は青白く、貧血で倒れるなどは日常茶飯事だったのだとか。

スーパーやゲームセンターで貧血で倒れてしまい、用務員に介抱された時に、用務員のおじさんに優しくしてもらった経験がとても嬉しく感じるほど愛に飢えていたようです。

用務員の人に優しくされたことを今の今まで覚えており、それを嬉々として語っている姿を見るに、いかに塩谷瞬さんが家族や周りの人たちからの愛情を受けたことがなかったのかが分かりますよね。

 

その後、小学5年の夏休みには新聞配達のバイトをするようになり、家族や学校とは違う外の世界との接点が増えていき、なんと中学生の頃にはバーでアルバイトを始めることになるのだとか。。。

 

14歳でバーで働き始め、15歳でバーを経営

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塩谷瞬さんは14歳の時に20歳と偽り地元金沢のバーテンをバイトを始め、15歳でバーの経営をしていたのだとか。

バーで働こうと思った理由は、たまたま読んだ青島幸男さんの本に「政界を離れていたときにやっていたバーテンの経験が財産だ」ということが書かれていたそうで、憧れがあったそうですよ。

お店を経営するきっかけなのですが、バーテンのバイト時代に店のグループの会長に気に入られ、一緒に食事をすることになったのですが、自分が14歳であることを明かしてしまい、一度は辞めさせられることに。

ですがその後、その会長は塩谷瞬さんのために店をやりたいと塩谷さんに懇願してきたのだとか。

そして、地元の金沢でバーを経営することになったそうなのです。

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その後、ゲームセンターで撮ったプリクラを当時の彼女がナムコが主催するスターオーディションに応募し、ナムコ特別賞を獲得。

その時に出会った芸能関係者に薦められて俳優を目指すようになったのだとか。

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出典:ascii.jp

ちなみに、グランプリは当時13歳で、現在は女優として活躍している市川由衣さんだったそうです。

市川由衣 ナムコ 画像

出典:ascii.jp

ナムコ特別賞を受賞したのが16歳で、当時は地元の内灘高校に進学していたのですが、一人暮らしだったので学校とアルバイトとの両立が苦しくなり退学することに

 

家族の支えは無かったのかというと、塩谷瞬さんは父親と15歳のときに死闘を繰り広げており、それ以降は会っていないそうなのです。。。

 

父親と死闘

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死闘なんて大げさなと思うかもしれませんが、なんと、父親と死闘があったということは塩谷瞬さん本人が言っていたことなのです。

15歳ぐらいのときに、最後、ほんとにちょっと死闘があって。

家のものをすべて焼き尽くして、やつは俺を殺しかけて逃げていったので。警察が来て、もうそこからは会ってないですよ。まあ、僕も引越しをしたので……。

出典:週刊ポスト2012年8月31日号

事の発端は、塩谷瞬さんが汗水たらして稼いだお金を父親が何度も盗んでいたのだとか。

そのお金は家賃や光熱費、学費などを支払うものだったそうで、それに腹を立てた塩谷瞬さんは寝ている父親めがけて電子レンジを投げたそうなのです。

そこから父親との死闘が繰り広げられ、最終的には塩谷瞬さんが金属バット、父親の方は竹刀を手に取り殴り合ったそうなのですが、父親は剣道をやっていたらしく、塩谷瞬さんは一方的にやられて非常階段から落ちてしまったのだとか。

頭から血が出て、死を覚悟したそうなのですが、その時住んでいた場所がアパートの屋上のプレハブ小屋でなんとか逃げ切ることができたのだそうですよ。

最後は塩谷瞬さんが110番をして警察が入ってきて父親は逃げたそう。

そこから今まで会っていないそうなのです。。。

ここまでを振り返ると、生まれてすぐ母親はいなくなり、15歳で父親とも決別。

生活面で頼る人がいなくて、小学生のころから新聞配達のバイトや、スーパーの清掃補助のバイトなどをやっており、中学になると土木作業のバイトもこなしてきた塩谷瞬さん。

塩谷瞬さんはずっと1人で生きてきたようですが、家族を持つことについてどう思っているのでしょうか?

 

家庭への憧れ

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これほどまで壮絶な家庭で育ち、温かい家庭をしらない塩谷瞬さんなのですが、「結婚や家族に憧れることはないのか」という質問をされた際に「早く結婚したかった。15歳位の時に付き合っていた彼女と結婚を考えていた。」

塩谷瞬さんが小学4年生のころに父親が再婚し2人目の母親ができたのですが、一緒に入られたのは中学くらいまでだそう。

母親が居た頃は精神的に安定していたようで、その頃のことを塩谷瞬さんは「家庭があると精神的に落ち着くし、落ち着いたら豊かになっていく」などと語っていました。

母親の愛情を知らないまま育ってしまったので、ささいな人とのふれあいでしか温もりを感じることができず、家庭の温もりや家族の愛情に飢えていたのでしょうね。

両親や社会に対して怒りや苦しみを感じており、恨みを持っていたこともあるのですが、近所の人達の無償の愛のおかげでなんとかやってこれたのだとか。

塩谷瞬さんの二股事件も幼い頃からのものだったのでしょうか。

塩谷瞬さんの二股騒動後の現在や彼女の記事はこちら↓

 

もちろん、環境が悪くても真面目に生活を送っている人もいますし、このことが二股した言い訳にはならないのですが、現在の彼女さんとの関係は上手くいってほしいですよね。

 

まとめ

・塩谷瞬さんは生まれてすぐに両親が離婚しており、母親の顔すら覚えていない

・幼少期は極貧で、小学生時代からバイトを始める

・中学の時にバーテンとして働き始め、15歳のときにバーの経営を任される

・父親とは15歳の時に死闘を繰り広げ、以後会っていないそう。

以上、塩谷瞬さんの異常な生い立ちについてまとめてみました!

じゃあまた。

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